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2009/03/21

(1)意見、忠告は、なぜ質が低いコミュニケーションなのか

Tweet ThisSend to Facebook | by:tadashi
質の高い意見や忠告
意見や忠告ももちろん情報的に質が高いコミュニケーションになることは当然あります。
それには前提があります。意見や忠告を求められたときで、かつ意見や忠告をする人がその件について、確実な知識をもち、さらにその件について十分な社会的な影響力を持っている場合です。
 
実際のコミュニケーションの現場では、このような前提がないところで、意見や忠告がなされることがほとんどです。
 
成熟度
集団心理療法では、グループの成熟度が低いときに、意見や忠告がよくみられるとされます。
この理由はなぜだかずっと考えていました。そうかいてある論文でもどうして意見や忠告が成熟度が低い場合に見られるのかは説明がなかったです。(最近の文献にはあるのかもしれません。) 体験的な私の観察からの結論は、成熟度の低い関係でみられる意見や忠告は、必要があってされるのだと思っています。成熟度が低い集団内(状況内)で個人間の影響力が定まっていない状態は、動きにくいので影響力の度合をはかる必要があります。その集団において自分の意見が通れば、自分の影響力がはかれます。そのためには下手な鉄砲でも数撃てばあたるというわけで、いろいろ意見、忠告するわけです。そういうわけで人間関係が成熟していないときに、意見、忠告がでるのはそれほど問題ではないと考えられます。成熟した関係に移行するならいいはずです。成熟した関係の定義ですが、ここでは、グループの目的に対して、効果的なコミュニケーションがより交わされる状態とします。

問題なのは、
今までは、えんえんと、意見、忠告が繰り返される場合が問題でした。でも、今はちょっと違ってきているような気がします。
まとはずれな意見、忠告をする人は、自分のまわりではかなり減ってきました。世の中的にも減ってきているのではないでしょうか?
まとはずれな意見、忠告をして痛い目にあって、経験をつみ自分の影響力を作り出していくのだとすると、まとはずれな意見、忠告を最初のうちは言っておかないといけないはずです。若者が生意気な発言することは、そう考えると重要なはずです。
関連質問をはてなでしています。

その2に続く(これから書く予定です。)




 
 

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